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うちわの歴史について

うちわの起源

うちわの歴史は扇子よりもはるかに古く、紀元前の中国で誕生したという記録が残されています。

古代エジプトの壁画に見られる、王を扇ぐ従者が手にもっているものも羽ウチワであるといいます。

うちわは紀元前3世紀ごろの中国周の時代には既に存在しており、有名な歴史上の愛用者では三国志の諸葛孔明がウチワを軍配として使用していました。

古代中国ではもともとうちわは僧侶が虫を払うための道具として使用されていました。「うちは」と呼ばれ、ハエや蚊などを「打ち払う」ことから由来しています。

僧侶は殺生をしてはならなかったため、虫が多く飛ぶ夏場などはウチワが必要をされたのです。

古墳時代に日本へと渡来したうちわ

そのうちわが古墳時代に中国から日本へと伝来し、最初は「サシバ」と呼ばれていました。サシバはウチワの柄の部分を伸ばしたような形状をしていました。

10世紀になると、小型のサシバを「うちわ」とよぶようになりますが、扇ぐ用途というよりは威厳を正すために顔を隠したり虫を払ったりする道具として使われていました。

奈良・平安時代に「カザシ」へと変化したうちわ

うちわは奈良・平安時代になると天皇の顔を隠すための「カザシ」に名前を変えます。

カザシとしてのうちわは、天皇の食事を冷ましたり、宮中の火起こしにも使用されるようになります。名前は変わりましたが、だんだんと現代の使い方へと近くなってきました。

戦国時代の軍配うちわ

戦国時代になると、大将が戦で指揮を執るための道具としてうちわは使われます。

軍配団扇としての姿は現在の相撲の行司に見ることが出来ます。

江戸時代のうちわ

江戸時代になってからは、庶民の間にもうちわが広く普及するようになります。

うちわを扇いで暑さをしのいだり、炊事の火起こしに利用されたり、現在の私達と変わらぬウチワの日常風景がありました。

そして庶民文化の中から次第にうちわに浮世絵を印刷して楽しむようになっていきます。

明治時代のうちわ

江戸時代にうちわに絵柄を入れて楽しむ文化が生まれ、明治時代にはさらに新しい広告としてのウチワが誕生します。

店名や有名な俳優の写真が印刷されたうちわは、人々の間で広く親しまれました。

昭和・平成に入ってからのうちわ

家電製品の普及により、うちわの扇ぐ用途は大幅に減少しました。しかし屋外でのニーズは未だに高く、ノベルティや販促物として配布すると好評を得ることが出来ます。

夏場のお祭やコンサートなどでオリジナル作成のうちわを使うなど、現代ではうちわの印刷面への関心が高まっています。

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